松井秀喜 名言TOP10!最高のホームランバッターの金言集

松井秀喜、日米を代表する長距離打者である。日米通算507本の本塁打。ここぞという時に必ずと言って良いほど打ってくれる、頼れる4番「ゴジラ」。そんな「ゴジラ松井」の名言、金言集をまとめ上げた!

松井秀喜金言集にて

1974年6月12日生まれ、石川県能美郡出身の松井秀喜は1990年代から2000年代を代表するホームラン打者である。1992年に多くの注目が集まる中、東京読売ジャイアンツにドラフト1位で入団した松井秀喜は年々、スター選手への階段を登り続けた。
愛称は「ゴジラ」、2013年には国民栄誉賞を受賞するなど、長嶋茂雄氏・王貞治(元巨人)と並ぶ、プロ野球の顔的存在である。そんな松井秀喜は現在ニューヨーク・ヤンキースGM特別アドバイザーを任されている。
インタビューなどに応じる松井秀喜はいつもクールである。しかし言葉の一つ一つに重みがあり、そして松井秀喜には自信があるからこそ、一見クールすぎる言葉も後々深みのある言葉に変わる。
今回は松井秀喜が主に現役時代に残した名言・金言を集めまとめていこうと思う。実に重く深みのある言葉ばかりなので、筆者自信も参考になる言葉ばかりである。

松井秀喜金言集・第10位

ズルはできない、俺が見てるから

「ズルはできない俺が見てるから」、松井秀喜が言い放った言葉。練習をやったからといって、良い結果が出るわけではない、しかし、良い結果を残している選手は必ずどこかで人よりも努力をしているのである。
松井秀喜はきっと、ものすごく厳しい、「練習」という名の試練を自分に持っていたと推測する。そこでも決して手を緩めることなく努力し続けたのだろう。
なぜなら松井秀喜自信が松井秀喜自信を見ているからだ。
この言葉を言い換えるならば「自分が見ているから、自分に対し決して手を抜かない」と言ったところか。どこまでも自分に厳しい、松井秀喜のスタイルである。

松井秀喜金言集・第9位

努力できることが才能である

松井秀喜が父親から送られた言葉「努力できることが才能である」。この言葉は現在メジャーリーグで活躍している天才打者イチロー(マーリンズ)選手は周囲からこのような評価を受けている。イチローは「天性の天才ではないのかもしれない、ただ努力を続けることが人よりも数倍できる天才なんだよ」と。
努力を続けて「天才」となった。そのような意味だと捉える。松井秀喜は多少イチローとはニュアンスは異なるが、努力を続けて、ニューヨーク・ヤンキースの4番打者にまで君臨したのだから、
自分(松井秀喜)の才能は「努力をすること」、「練習をたくさんすることなんだよ」と捉えることができる。
安打を打つ天才イチローと、本塁打を打つ天才松井から感じる境地は「努力」というありきたりな言葉であった。

松井秀喜金言集・第8位

人生も野球も、失敗そして後悔の連続です

「人生も野球も、失敗そして後悔の連続です」。なんとなく骨身にしみる言葉だ。人生の部分においては共感できる気がする。確かに人生は失敗と後悔の連続である。あの時、ああしてたらとかと言う「たら、れば」が良い例だろう。
野球においては打者の場合、10打席中7〜8打席は失敗に終わり、打率を3割残せば好打者とされる、実に失敗の方が多いスポーツなのだ、松井秀喜ほどの男が言う人生の失敗がなんなのかは
わからないが、
野球においては、「あの時のあの球は本塁打にできたな」みたいなことが多々あったのだろう。

松井秀喜金言集・第7位

これまでの人生で辛いと思ったことはない

「これまでの人生の中で、「ああ、辛いな」と思ったことはまだ一度もありません。そう語る松井秀喜は、プロに入団すると長嶋茂雄当時監督の「4番1000日計画」を見事成し遂げジャイアンツの4番打者に成長した。
「1000日計画」とは長嶋茂雄監督がつきっきりで、松井秀喜を指導、試合後も、長嶋茂雄氏の熱心な指導は続き、時には長嶋茂雄氏ホテルの部屋でバットを降っていたこともあったと言う。
想像するだけでもきつそうだが、松井秀喜は「辛い」と思ったことは一度もないのである。

松井秀喜金言集・第6位

先生に挨拶しないと

「先生に挨拶しないと田舎に帰ってきた気がしません」松井秀喜は、毎年の暮れになると、星稜高校時代の恩師、山下監督を訪ねます。松井秀喜はジャイアンツに入団してから欠かさず毎年山下監督に挨拶をしているのだとか。
高校時代、松井秀喜は学校グランド近くにあった山下監督の家の屋根をホームランを放ち壊したと言う伝説が残っている。
ちなみに松井秀喜の故郷である石川県能美市には松井秀喜を記念した博物館、松井秀喜ミュージアムがオープンしている。

松井秀喜金言集・第5位

自分が野球をしていられることが平和

「自分が野球をしていられることが平和であることだと思ってます」この言葉が全てだと筆者は思う。世界が混乱し、仕事さえできなくなってしまったらそれは平和ではない。
松井秀喜の心中は野球をしていれば穏やかである。もちろん怪我などにより野球ができなければ松井選手としては心中穏やかではない。
松井秀喜が打席に立つとファンは皆、安心したような気持ちで野球を観戦することができる。松井秀喜が現役でバリバリの頃ファンも平和な気持ちだったのだ。

松井秀喜金言集・第4位

監督、申し訳ありません

#松井秀喜

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「監督、申し訳ありません。どうしても夢を捨てきることができません。メジャーリーグに行かせてください。」この言葉は当時ジャイアンツ監督だった原辰徳氏に対し松井秀喜がメジャーリーグに挑戦に対しての思いを告げた言葉である。
この松井秀喜に対し原監督は「もう考えは変わらないか」と尋ねると松井は「変わりません」と決意を告げたと云う。
前監督の長嶋茂雄氏の残留要請もあったそうだが、松井秀喜はFA宣言をしメジャーリーガーとなったのだった。

松井秀喜金言集・第3位

長島監督には一度も

「長島監督には一度も褒められたことがありません」。松井秀喜の恩師でもある長嶋茂雄氏は1992年ドラフト会議での抽選を見事引き当てた。あのドラフトのシーンは名シーンとして今も語り継がれているが。
その後松井秀喜をジャイアンツの4番打者へと育て上げるため、実際は2000日かかったと云う、伝説の「松井秀喜4番1000日計画」を遂行した。
その後成長した松井秀喜は、ジャイアンツの4番として長嶋茂雄氏や王貞治氏と比べても恥じない4番へと成長を成し遂げたのだが、恩師である、長島監督には一度も褒められたことはないと云う。

松井秀喜金言集・第2位

一生懸命練習すれば

「一生懸命練習すれば、必ずいい結果が出ると信じているんです」。先程も述べたが、松井秀喜は努力家である。一生懸命練習をしてジャイアンツの4番打者へと成長し、やがてはアメリカの歴史ある名門ニューヨーク・ヤンキースでも中核を担う打者となった。
ただ闇雲に練習をするのも良いが、良い結果が出ると信じて練習をすると云うことが、ミソなのかもしれない。
ポジティブ思考で前に進んだ松井秀喜は良い結果が出たのである。

松井秀喜金言集・第1位

私はこの賞をいただき、

「わたしはこの賞をいただき、大変、大変、光栄でありますが、同じくらいの気持ちで恐縮をしております。わたしは王さんのようにホームランで、衣笠さんのように連続試合出場で、何か世界記録を作れたわけではありません。
長島監督の現役時代のように、日本中のファンの方々を熱狂させるほどのプレーができたわけではありません」「今後、偉大なお三方の背中を追いかけ、日本の野球の、そして野球を愛する国民の皆さんの力に少しでもなれるよう努力をしていきたいと思います。」
国民栄誉賞を受賞した時の松井秀喜の言葉である。
この言葉に多くのファンが感動し、松井秀喜という人間の懐の大きさを改めて知ったのである。

松井秀松喜という男

ジャイアンツの4番として、またメジャーリーガーとして多くの野球ファンに夢と希望を与えたくれた選手だった松井秀喜。松井秀喜が打席に立つのが楽しみでしょうがなかった、学生時代を思い出す。
打席に立てば必ず打ってくれる、松井秀喜がスランプに陥ると自分自身も元気がなかった。ニューヨークで活躍している松井秀喜の姿は本当にかっこよかった。
今でも忘れない場面が数多くある。そんな松井秀喜の名言は多くの人々の心にきっと焼きつき、多くの人々の人生に役立つと筆者は信じている。