三浦知良は全てがレジェンド級!永遠のサッカー小僧の驚愕伝説の数々に刮目せよ!

50歳を過ぎても走り続ける「キングカズ」こと三浦知良選手。普通なら引退するこの年まで現役にこだわり続ける彼の生きざまは多くの人に注目をされている。

カズを知る人は誰も彼のことを悪く言わない。それは三浦知良が打ち立てた数々の伝説と、人柄によるものだろう。

そんなカズの伝説を是非見てもらいたい。

生ける伝説KINGKAZUとは?

02年の日韓W杯に出場した日本代表のメンバーの多くが未だに現役である脅威を中国のメディアが伝えていた。しかし、そこから更に遡る90年代、「ドーハの悲劇」「マイアミの奇跡」「ジョホールバルの歓喜」と、日本サッカー激動の時代を駆け抜け、いまなお現役を続ける選手もいる。それは「カズ」こと三浦知良である。「KING」とも称される彼の伝説をご紹介したい。

選手として世界を巡る三浦知良のプロフィール

1967226日生まれ。177cm69kgA型。静岡県出身。横浜FC所属のサッカー選手。ポジションはFW2017年現在世界最高齢のプロフットボーラーでもある。妻・りさ子との間に2男を設ける。
 
小学一年の時、兄・康年と共に叔父が監督を務めるクラブでサッカーを始める。リフティングをしながら通っていたらしく、「いつか事故に遭うのでは」と噂されていた。中学卒業の段階で進学は考えておらず、進路相談で「ブラジル」と書き、当時地区どころか、市の選抜からも漏れる程度の選手だったため、担任に激怒された。
99%無理」と言われるも、1%を信じる」と、周囲の説得の末入った高校も中退してブラジルへと渡る。その後プロ化を目指すJFLの話を聞き帰国。日本代表でも活躍する一方、イタリア、クロアチア、オーストラリア等の海外のクラブを渡り歩く。

有名なカズダンスの誕生秘話とは?

日本に「ゴールパフォーマンス」を定着させた「カズダンス」。これはカズが考え、親友の田原俊彦がアレンジを加え完成した。ブラジルのFWカレカが得点後踊っていたサンバを元にするが、カレカからは「(カズのは)サンバではない」と酷評を受けたこともある。
 
初出は、92年のゼロックスチャンピオンカップ(本人談)、しかし、3年程前にTV番組で、サッカーの助っ人として参加した際にも披露している。90年代のサッカー少年は挙って真似ていた。
 
Jリーグでも多くの選手がカズダンスを踊っている。その中で城彰二はカズ本人にバレて呼び出され「ちゃんと踊れていない」と説教されたらしい。得点自体減り、最近は目にすることは減ったが、メモリアルゴールなどの際には披露してくれている。
2015年に「Jリーグなら誰でも公認」とのKINGからのお触れが出た。

日本サッカー界をけん引!常にトップを走り続ける偉業伝説

今でこそ代表メンバーの大半が「海外組」で占められているが、「黄金のカルテット」が注目を集めるなど、日本人が海外で活躍する事自体珍しい時代もあった。その険しい道を切り開いたのはやはりカズだった。その足跡を振り返ろう。

全日本のエースに君臨した海外移籍のパイオニア

単身ブラジルへと渡るも、初めは偏見もあり、実力も伴わず、夢破れ帰国を決意する。その時「裸足や片脚の子供が、ボロボロのボールでも楽しそうに遊んでいる」のを見て、自身の恵まれた環境を鑑みて翻意。
その後、成功を収めていき、ブラジルリーグで日本人初のプロ契約を勝ち取る。因みに日本人プロサッカー選手は彼ではなく奥寺康彦・・・でもなく「佐田繁理」である。
 
そして「日本をW杯に連れていくために帰ってきた」と凱旋帰国。「プロリーグの無い日本を変える」とも語り、プロ化の旗振り役として先頭を走り続け、93年ヴェルディを初代王者に導くと共に、自身もMVP第一号に輝く。同年アジア年間最優秀選手も受賞し、ACミランのチャリティマッチにも招待されアシストを記録した。

翌年イタリア・セリエAのジュノアへ移籍。一年でJに復帰となるが、日本どころか、アジア人初の快挙を果たす。その後98年までヴェルディに所属も戦力外となり、クロアチア・ザグレブへ移籍。
ジュノアの時も、ザグレブの時も「お金」が絡んだともされ、純粋に実力だけとは言い切れない部分もあるが、多くの海外組が活躍する昨今の道を切り開いていった。
 
ザグレブ退団後は、京都、神戸と渡り歩き、05年に横浜FCへ移籍する。同年、トヨタ杯の出場地区が増え、アジア枠ができるもJリーグ勢は出場叶わず、「開催国なのに日本人がいない」事態と、オセアニア王者として参加するシドニーFCの補強が合致し、期限付き移籍。
現在の年俸は1500万円程度とみられ、J2では高額とされる。
前身のインターコンチネンタルカップを通じ、日本人初出場を果たした。

日本代表としては、89試合出場、55得点(歴代2位)。ダイナスティカップや、アジア杯の初優勝などに貢献し、W杯予選でもオフトから岡田武史に替わるまでコンスタントに呼ばれ続ける。この時代は欧州ではまだ無名に近かったが、アジア諸国では既にカズは恐れられていた。
トルシエの時も、ゴンと共に呼ばれ「二人は日本のブランド」と言わしめたこともある。

サッカーだけじゃない!スポーツ界を引っぱるスーパースター伝説

サッカー選手では初のCM出演!

90年代当時、空前のJリーグブームに乗り、サッカー界初のCM出演を果たす。ここでもパイオニアぶりを発揮し、ビールのCMを皮切りに、2000年代に入っても男性用エステ、ゲーム、更に10年代もメーカーの違うコーヒーのCM2社へと出演している他、リポビタンDなどその人気は衰えない。
 
リポDCM会見では「Have a Dream その手に夢を」に因み、「もっとサッカーが上手くなりたい」という「夢」を書いたプラカードを持ち、注目選手の久保建英について35歳差の勝負がしたい」などと語っていた。
その久保について自身のサイトで「発言も大人びている」と評価する一方で、15歳らしさ、やんちゃさが面白みにもなる」と、年不相応にやんちゃな先輩としてエールを送っている。

広告塔としての動きはCMだけの留まらず、同じスポーツ界にも及ぶ。人気の低迷しているフットサルからオファーを受け、日本代表に選出される。既にアジアを制して出場を決めた状態のチームに合流する形で、奇しくもクラブW杯に続き、フットサルでもW杯に参加する事となったのは、本人としても複雑だったに違いない。

TV番組出演に対するこだわりとは?

多くの選手は主にオフシーズンではあるが、バラエティなどによく出演している。そして、その技術を使ってタレントと遊んでいたりするのだが、カズはそのようなことをあまりしない。
インタビューなどで出るか、トーク系の番組がほとんどだ。それはサッカー選手としてコンディション管理などが主な理由とされるが、意外とアニメの声優なんかもやっていたりもする。
 
スポーツ、特にサッカーに関しては真摯な受け答えが多いが、その他は結構ざっくばらんに話していて、気さくな人柄が伺い知れる。以前何かの番組で「TVは年一回」くらいにしていると話していたこともあり、タレントではなく「選手」としてのこだわりが見られる。

ピッチ内に収まり切れない!フィールド内外で繰り広げられる男前伝説

お金をもらうからプロじゃない

どんな時も手を抜かずにやるのがプロと、いつでも全く手抜きをしない。W杯で、日本の試合が始まる直前までトレーニングをしており、理由は「直前まで何があるか分からない。集団食中毒とか、怪我とか。万が一自分が呼ばれたら、恥ずかしいコンディションではいられない」からだ。
 
J1J2自由に選べればJ1を選ぶが、自分を必要としてくれるならカテゴリーは関係ない」とも語り、「プライドとはグラウンドで一生懸命プレイすること」と余計なプライドは一切ない。「年下の選手に命令されてムカつかないか?」と訊かれても「グラウンドでは(年齢は)関係ない」とあっさりと言い切る。

徹底した気遣い!ファンサービスもレジェンド級

あるサポーターの話で、「カズと前園が並んで歩いてくるところを呼び止め、サインをねだったところ、カズは快く承諾してくれた。しかし前園は無視して行こうとすると『おい!ゾノ!おめぇプロだろ?』と呼び止めサインをさせた」逸話があるらしい。
 
「何時間もかかるものじゃない。みんなサインが欲しいんだよ」と、スタッフが止めるのも聞かず、サインを待つファンの中に飛び込んで行ったり、声を掛けれないでいると自ら歩み寄ってくれるなど、彼の神対応は多く語られている。
 
それは一般のファンにだけにとどまらず、世界を制したなでしこジャパンに花束を贈るなど、自身の関係者や、その周囲の人々への気遣いも全く怠らない。そこがカズ、いや三浦知良の魅力なのだと思う。

サッカー界のゴッドファーザー

趣味は「マフィアの研究」とするほど映画「ゴッドファーザー」の大ファンであり、彼のファッションの元となっている。日本サッカー界の伊達男を自認し、朝のコーヒー一杯の為だけに「スーツと英字新聞」で決めて、帰ったら着替えて寝直す程とも言われている。
 
元同僚の武田修二は「待ち合わせのとき全身白スーツで表れうろたえた」と語り、前園には行きつけの店で「『ゴッドファーザー』が流れていたら俺がいるから」と話し、北澤豪もミラノのホテルでは、カズが来ると演奏が始まると話している。
 
二十歳前のブラジル時代からこのスタイルで、「自分が好きなことだから楽しい」と言い、服の為のマンションまであるという。しかし、横浜FCに在籍するようになり、ジャージで出歩くことも増えたと言われる。ただ、サングラス等は必須らしい。

サッカーに捧げすぎ?華麗なる変人伝説

「11」番はオレの物

カズナンバーとして有名な「11番」、車のナンバーは当然の事、駐車スペースも可能な限り11に停めるようにしているほど、ラッキーナンバーとして本人も気に入っている。京都に移籍した時は、既につけていた選手に500万で売ってくれ」と冗談半分で話したことがある。
 
その他番号を選べる状態なら可能な限り「11」を付けており、シドニーへ移籍した際も、現地では敵わなかったが、クラブW杯では11番を付けている。由来は元々左ウイングの番号で、そのポジションだからブラジル時代につけたのが始まりである。
 
日本代表に就任したファルカンから、主将と10番を薦められるもそれも固辞するほどだが、息子に「日本代表の伝説的な11番は誰だ?」と尋ねると「巻()と言われたこともあるらしい。

ピザはトッピング無し

ストイックで知られるカズの食生活は、一部では異様に映ることもある。例えばピザはチーズやソースの塩分や脂肪分を気にして「ミミ」しか食べない、など色々と噂されている。長谷部誠は以前カズと食事会を開いた時、デザートのアイスをカズが食べないことに驚き、自己の甘さを反省していた。
 
これらは栄養士からの助言で「高タンパク、低脂肪」の食事をとるようにしたからで、本人曰く35歳まではデタラメ」だったらしい。そんな中でもテキーラは「走るためのガソリン」としており、「今でも試合まで間隔があればガッツリ行く時もある。言われているほどストイックでもない」とも語っている。

ミートスパって肉入ってるの?

出典:http://sozaing.com

カズは意外と天然な話も暴露されている。神戸で一緒だった播戸竜二は「栄養士から『試合前に余り肉を食べなくても良い』と言われ、その後の食事でミートスパを食べる時、シェフに『ミートスパって肉入ってるの?』と訊いていた」と話している。
 
他にも、共に代表に選出されていた楢崎正剛は、「バスの車中で、何かを磨いていて、『さすがスパイクの手入れをしているんだ』と思ったら革靴だった」と語る。当時ヴェルディで同僚だった北澤が新車を買った時、ガムを車外に吐いた時に見事にボンネットに乗ってしまい、北澤に「カズさん、降りる?」と怒られ、ガムを拾い、ボンネットを拭いたという話もある。

ねつ造?ネットで騒がれる神対応伝説

実家のもんじゃ屋

出典:http://sozaing.com

有名な話なので詳細は割愛するが、概要としては「カズの実家のもんじゃ屋で、学生が食事をしていたら、カズが現れ歩み寄って雑談。その後二階へと消えていき、学生の支払いの時、店員(カズの妹)が、二階を指しながら『今日の分は出してくれた。また来てね』と返した」というものだ。
 
後に記者が真相を確かめに行くと、「聞いた事無い」とカズの妹は否定している。しかし、これだけでは終わらないのがカズ伝説だ。この話は何とカズ本人も知っているのだ。「もんじゃの話を知っているか?」と尋ねられたとき、「俺がおごるってやつか()?」と即答しているらしい。
 
何れにしても、このような話を公に肯定も、「嘘だ」とも言わないのは流石スーパースター。奢っても驕らない所が支持される由縁だろう。

自他ともに「常に紳士たれ」

「ある焼き肉屋で、高校生の私が、小学生の弟を連れ、『何か話してほしい』と言うと、奥の座敷から降りて、弟の目線にしゃがんで話をしてくれた。連れの女性が『まだなの?』っていうと『サッカーの話をしているんだ』とキレていた
 
「小学生の甥っ子を連れて練習場に行った時、サインを貰おうとしたが、甥は場に飲まれ固まっていると、ギャルが押しのけてきてサインをねだっていた。しかし、カズはそれを押しのけて『大きいのを書いてやる』とサインをくれ、そのままギャルを無視して去っていった」と言う逸話もある。
 
これも真偽はわからないが、本当だとすると、別に「ギャル」だから悪いのではなく、仮に「おっさん」でも同様の仕打ちにあう可能性がある。上記のゾノの例のようにマナーや礼儀に欠く行為に問題があるためカズはキレたのだと思う。

誹謗中傷は「エースの宿命」?常に前を向くポジティブな名言伝説

通用しないから行くんです

出典:https://www.pakutaso.com

ジュノアに立つ際に記者から質問を受けての一言。更にW杯に行くために何か掴んで帰りたい」と意気込みを語っていた。似たような質問に、W杯に挑む日本代表にについて、記者が「世界に通用するか?」と訊いた時も「日本も世界(の一部)なんですよ」と返すなど常に前を向いた発言をしている。
 
年齢的にも、成績的にも選ばれる可能性が低くなっていく中でも、「ドイツで会いましょう。」や、「次は2010年目指します。」と語っている。
 
W杯で活躍できなかった城が水をかけれらた際に、自分のポジションを奪った相手に「それがエースの証明。認められたんだ」とエールを送っている。

フランス予選での「誤解」

「『顔も見たくない』って書いといて」と未だに遺恨の残る岡田監督とカズ。二人の因縁はフランスW杯の最終メンバー発表に遡る。あの「外れるのはカズ」の発言だ。これには伏線があって、イランとの最終決戦の時に、事前の打ち合わせと違う采配を監督は振るった。カズとしては「ゴンが交代して、その後自分」のつもりだったが、先にカズの「11」が表示される。
 
そこで「オレ?」のリアクションを取り、大きく取沙汰された。「この俺様を変えるのか?」と。しかしこれは大きな誤解で、「ゴンなの?オレなの?」程度の意味で、後に交代で入った城も、監督も、「急な交代だったので混乱があった」と口をそろえて証言をしている。因みに冒頭の発言はカズのジョークである。

「引退勧告」?「激励です」!

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某番組で、コメンテーターが「ファンには悪いが引退しなさい」と評したことがある。しかしカズは意に介さす「光栄です。『もっと活躍しろ』と言われたんだなと思う」と鮮やかに返している。他にも「ダンスも辞めなさい」と言われたことあるが、「指摘を重く受け止めつつ、次もやります」とやはり意に介さない。
 
しかしこの前にも「引退危機」はあった。神戸でベンチ外が続いた時も「これで『引退』と思っているのかな?サッカーは世界中でやってるんだぜ」と言い、その後横浜FC入りする際も「必要とされることが大事。環境は関係ない」と当時J2入りもまるで気にしなかった。
 
「パンダ」扱いについても「僕はそれで十分。だってパンダだから人が来るんだもの」と一笑に付す。

盟友・ゴン中山との胸アツ友情伝説

共に日本サッカーのトップを走り続ける大切な存在

「仲が悪い」「いがみ合ってる」と、二人が顔を合わせたある会見では「不仲」を強調していたが、その実お互いにリスペクトしてやまない盟友の二人。ゴンが一時的に「第一線を退いた」時に、カズが「寂しいというか、あいつがいたからここまでこれた」と涙を浮かべながら語っており、ゴンも同様の事を話している。
 
ある時の代表合宿中、ランニング中にカズとゴンが走っていた時の事、競走でもないのに「お互いトップを譲らないんだよ。おまけに終わろうともしない」と回顧し、無言で走り続け、「誰かに止められたけど、倒れるまで走ってたね、きっと」と振り返る。

そんな二人の付き合いは古く、共に94年の「ドーハ」を体験している。その2年前の合宿中、公園の芝生の上で寝ころびながら、「W杯に行こう」などと話していたら、そこは男性カップルの名所で逃げかえることもあり、トルシエ時代には二人でベッドに横たえながらDVDを見ていたら、それを目にしたトルシエが妙な気遣いをしながら去っていったこともあったそうだ。
 
98年のW杯予選、ゴンが「嫁のブラジャー」を付けて試合に臨んだのはあまりにも有名だが、「それ」と、自身のユニフォームの間に、カズの「11番」を付けて、当時出場停止中のカズにエールを送ったこともある。また、カズはゴン夫妻を取り持ってもいる。
因みにこの行為は、ブラジャーは個人の趣味なのでとやかく口出しはできないが、ユニの重ね着はルールに触れる恐れがあるのでお勧めはしない。

永遠のスーパースターKINGKAZUが輝き続ける理由(ワケ)

W杯に出場が決まれば、夢を達成したことになるけど、今度は通過点にしか思えなくなる。そこに行ったら違う物が見えてくるだろうな、と思う」と語り、「常に何かに挑戦していれば輝きは失われない」「一度に100メートルではなく、1センチでも前に」「人生これでいいと思ったら、すぐに追い抜かれて置いていかれる」と話す。
 
簡単に言えば「向上心」と言う事になるのだろうけど、それを持ち続けることも難しい。「一生やるよ。プロサッカー選手ではなく、サッカー選手として」「いつまでも過去の栄光にぶら下がっていられるほど甘くない」「過去の実績はすぐにどこかに行ってしまう」「人生が巻き戻せてもどこにも巻き戻したくない」と常に前向きな発言を繰り返す。

「全盛期?これからだよ」と以前メディアの質問にも答えていたが、多分今訊いても同じ答を返すことだろう。常に上を目指し、前を見据え続ける。そして現状を受け入れ、変化し続けていくカズはこれからも老いに抗いながら、まだまだ自分にできる最大のパフォーマンスを見せてくれると思う。
そしてその立ち止まらない前進し続ける姿が多くの共感と憧れの目をもって見られるのだと思う。常に挑戦を辞めない日本サッカーのレジェンドが輝きを失わない理由はただ一つ。それは「サッカーが好きで、愛しているから」だ。だからいつまでも現役にしがみつき、戦い続けられるのだろう。