95年にTVアニメシリーズの放送が始まってからは21年、貞本義行さんのコミックスも全14巻を19年越しに完結した、新世紀エヴァンゲリオン。アニメ版、漫画版の考察をしてみたいと思います。色々な考察がある中のひとつとして、楽しんで頂けたら幸いです。
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新世紀エヴァンゲリオン アニメ版・漫画版とは?
アニメ版と呼ばれているエヴァは、1995年10月4日から1996年3月27日に放送された、庵野秀明監督の元で作られた、全26話の新世紀エヴァンゲリオンのことです。監督自身の投影なども色濃く、放送時間がテレビ東京で18:30から19:00だった事でも話題を呼びました。
漫画版と呼ばれているエヴァは、当初『月刊少年エース』で、1995年2月号から連載開始され、2009年3月に、角川の漫画雑誌『ヤングエース』への移籍、完結したのは何と2013年7月号!コミックス化を含めると19年です。
この両者が織り成すエヴァンゲリオンは、最終回が近付くにつれて全く違った形を描いていきます。では、アニメ版と漫画版の最終回とはどのようなものだったのか、掘り下げていこうと思います。
新世紀エヴァンゲリオン アニメ版最終回「おめでとう」の意味とは
世界の中心でアイを叫んだけもの
エヴァの最終回と言うと、唐突に世界が割れ、開放された場所で、皆に「おめでとう」を言われている碇シンジ。エヴァンゲリオン最終回と言うとこれが真っ先に浮かびます。
では、あの最終回に込められた意味とは一体何だったのか、考察していきたいと思います。
シンジの葛藤
最終回序盤で、シンジは「どんな自分も受け入れてはもらえない」と言う想いを捨て、一歩踏み出します。それが唐突にコミカルに描かれる幼馴染のアスカ、転校生のレイなどが出てくる平和な世界です。
「こんな世界なら受け入れて貰えるかも知れない」その一歩目が描かれたあと、舞台はシンジがパイプ椅子に腰掛けたシーンに移り、今抱いている恐怖を打ち消す言葉を、周りの人が言ってくれる描写となります。
「現実世界は悪くないかもしれない。でも自分は嫌いだ」と溢すシンジに、「”現実”を、悪く嫌だととらえているのは、シンジの心」であり、変化を望めば真実は変わると言う意味を持つ言葉を、出逢った人達に告げられます。加持に「”真実”は人の数だけ存在する」と、纏められています。
世界にヒビが入っていく描写と台詞の考察
「でも、皆僕が嫌いじゃないのかな……?」に対してはアスカが、「あんたバカァ?あんたがひとりで、そう思い込んでるだっけじゃないの」と。
「でも、僕は僕が嫌いなんだ」に対しては、レイが、「自分が嫌いな人は、他人を好きに、信頼するように、なれないわ」と。
「僕は卑怯で、臆病で、ズルくて、弱虫で……」に対しては、ミサトが、「”自分”が分かれば、優しくできるでしょう……?」と、恐らくはシンジが異性として意識したであろう一人一人に、ネガティブな想いを優しく否定され、諭されるシーンは印象が強いです。
シンジが「僕は、僕が嫌いだ。でも、好きになれるかもしれない」と、自己の可能性について希望を持った言葉をひとつ紡ぐごとに、作り上げて来た世界にヒビが入ります。そんなものは壊して良い、恐怖で動けず、いい子でいるよりも良いと言う意味だと思います。
世界は結局の所、自分を中心にしています。シンジは作中、ずっと内側に篭ることで自分を守っていましたが、それは自分自身の本心や願望を他人に曝け出せば嫌われる。と言う想いが、強かったからでしょう。
そうだ、僕は僕でしかない。(自分自身を認める)僕は僕だ。僕でいたい。(自分を嫌いたくはない)僕はここにいたい。(有りの侭の自分を好きになってもらいたい)この言葉を経て、僕はここにいてもいいんだ!!と自分で言葉にした瞬間、既存の世界は崩れ、そこには青空が広がります。
何に対しての「おめでとう」なのか
シンジがここで出した答えの正解や不正解は、今後、彼が歩む人生で見つければ良い事です。ただ、いつまでも人と触れ合う事を恐れ続けて、触れずにいれば、友人相手でも、心から笑いあうことも、泣きあうことも出来なかったでしょう。
だからこそ、登場人物たちは、願いや希望、そして自身を受け入れたシンジが、構築した自分だけの狭い世界に閉じ篭るのを止めたことに対して、「おめでとう」と賛辞を伝えたのではないでしょうか。
誰だって人から嫌われるのは怖いことです。皆幸せな未来を描いたり、どうにか歯を食いしばり生きています、自分の世界(人生)は自分が作っていることに気付き、望めばどんな世界だって手に入ると言う当たり前で、とても難しいことを伝えているシーンだと思います。
拍手シーンの秘話はファミレス!?

出典:https://www.hotpepper.jp
実はアニメを製作したガイナックス本社の近くにはシズラーと言うファミレスがあり、そちらのお店は、来店したお客さんが当日誕生日だった際に、店員さんで囲んで、ハッピーバスーデーを歌って「おめでとうございます」と拍手してくれます。
アニメ版は庵野監督が、要所要所に自分とシンクロしたものや、純粋に好きなものを取り入れているので、「新しい人生の誕生日おめでとう」を、こちらのお店のお祝いになぞらえたのかも知れませんね。
新世紀エヴァンゲリオン アニメ版最終回の考察まとめ
当初は、第弐拾伍話「終わる世界」の次に、補完された世界の描写はなく、唐突な台詞のやり取りのみに近い最終回だったので驚きが勝りました。
エヴァの核心である人類補完計画ですが、「補完されること(誰も傷つかないが、自我のない世界)を望まない」と言うのを、どうにか主人公シンジは訴え、「願えば望みは叶う」と伝えたかったのがアニメ版であり、旧劇場が、サードインパクトの存在などで手助けしていると思います。
最終回では、庵野監督からであろう、「ありがとう」も詰め込まれていた分、パッと汲み取るのが難しかったですが、改めて台詞のひとつひとつ読むと、どこかしら自分に当て嵌まる奥深いものばかりです。
新世紀エヴァンゲリオン 漫画版の最終回はアニメ版とは違う!
旅立ちに至るまで
こちらは、2013年に完結した貞本義行さんの描いた最終回です。個人的に、夏しかなかった新東京市に冬が来たと言う、ただそれだけでも救われたような、少し寂しいような、そんな想いでいました。
漫画版エヴァの最終回は、旧劇場版、『新世紀エヴァンゲリオン劇場版 Air/まごころを、君に』を汲んだ上での、解釈しやすいバージョンのように感じられました。
サードインパクト
漫画版にはEVA量産機が登場、旧劇場版でアスカを助けられなかったシンジですが、それが報われるようなコマもありました。しかし、初号機を依りしろとして、サードインパクトが始まってしまいます。
シンジは、EVA量産機を前に母ユイに力を貸してくれと強く願います。その結果、シンクロ率は250%を突破、むき出しになった初号機コアに惹かれるように、月面のロンギヌスの槍が向かって来ます。
そしてシンジはそのまま地球の外へ、時を同じくして、ゲンドウはアダムを手にリリスの魂である綾波レイとの融合を望みます、勿論それはユイに逢う為。レイは、ゲンドウの手を掴み、拒絶します。「私が欲しいのは、この手じゃない……」と、ゲンドウを振り払い、リリスの肉体へと向かいます。
人類補完計画を否定したシンジ
第2使徒リリスとなったレイと、補完前のシンジの対話が始まります。これまでの、怖い思い。辛い思い。悲しい思い。そんなものが一切ない世界は、シンジにとって、魅力はあった筈で、実際に「一度は望んだかも」と、シンジは言っています。
貞本さんのエヴァと言えば、「てのひら」の描写が浮かびますが、このシーンでもシンジは、恐怖や悲しみより、もっと望むこととして、「もう一度君と手を繋ぎたいんだ」と、はっきりとレイを前にして告げます。
それは傷付いても良い、人と触れ合いたい気持ちの表れです。サードインパクトが起きる前に、亡くなってしまったミサトが教えてくれた事も、彼女の形見が要所に出てくることからして、強くシンジには焼き付いているのだと思います。
冬そして旅立ち
世界はシンジの望みで補完から、復元へと形を変えます。その過程で、アニメでは伺えなかった、レイやゲンドウの、心の奥底を描いてくれたのが個人的にはとても嬉しかったです。
最終回の季節は、何と冬!エヴァの世界には夏しかないので、冬服を着ている姿はとても新鮮です。
受験の為に上京する中学3年になったシンジのモノローグが、「僕には将来なりたいものなんてない」から始まりますが、これはコミックスの1巻のシンジと、ほぼ同じもの。まさかの伏線です。
旅立ちのモノローグは似ていても、1巻とは違ったような印象が、所々に垣間見えます。サードインパクトと世界の復元よって、これまでのエヴァンゲリオンの世界で起きた出来事は、記憶も含め消えている筈のシンジの鞄に、ミサトの形見の十字架のペンダントが付いていたりします。
貞本先生の粋な計らいは、矢張り電車乗り継ぎシーンで登場したアスカや、ケンスケです。ファンが思わず喜んでしまうツボを心得ていると思います。元々、内気と言うより冷めた感じをしていた貞本先生のシンジですが、歳相応の反応を女の子(アスカ)にするようになったような気がします。
新世紀エヴァンゲリオン 漫画版最終回考察まとめ
「僕の未来は、無限に広がっている」このシンジの台詞を聞くだけで、電車内でのモノローグが、1巻とは違い希望を持ったものであること、極々当たり前の日々が、幸せに続いているのではないかなと思わせてくれる、素敵なエンディングです。
復元前の世界で死亡してしまった、トウジやミサトや加持などとは逢えないかも知れません。そもそも、ユイとゲンドウに「さようなら」と告げている以上、もしかしたら両親の存在も全く別の人なのかも知れないです。
レイが出てこない理由は、サードインパクトの際にリリス(使徒)になってしまったからでしょうか。
魅力的なキャラが多かった分、貞本先生は、最終巻でまさに完璧な、「世界の復元」をして下さいました。上記の疑問点も色々と考察が出来ます、補完計画の前に死んでしまったキャラも、生まれ変わりならあるのではないか、など。
シンジ自身が、綾波と、再び手を繋ぎたいと言っている以上、未来に出逢える可能性は大きいと私は思います、庵野監督が描いた活発なレイの様にある日突然転校して来るかも。このように、貞本先生のエヴァは、希望を沢山残してくれた最終回となっていました。
色々な世界が混ざり合い進化するエヴァ!

出典:https://www.amazon.co.jp
旧アニメと貞本先生の最終回だけでも、リンクする箇所と、細部にかけて違う箇所が多々あります。アニメの方は『新世紀エヴァンゲリオン劇場版 Air/まごころを、君に』を含めて、ある意味完結となるかも知れません。そうすると、大胆に違う箇所なども出てきます。
根底として、変わらない部分は余り主人公らしくないシンジですが、それは彼だけの所為ではないと言うこと。家庭環境や、世界の平和を思春期で担うなど、どうしても子供の力だけでは抗えないものの末に、一度絶望しているのが、新世紀エヴァンゲリオンのシンジを含む子供達だと思います。
これら旧作品を見ると、新劇場版『破』までは出来すぎているぐらいに、幸せな状態だったのですが、矢張りそこは新世紀エヴァンゲリオン。一筋縄ではいきません。
『Q』で訪れた絶望に対して、シンジ達がどう成長していくのか、アニメ版、漫画版の次に控えている新劇場版最終回を、自分が一体どんな視点で見られるのか、作品の完成が楽しみです。
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