時は1944年、当時戦略に長けていたと言われている陸軍中将栗林忠道が硫黄島を守るためにとった作戦は持久戦。アメリカ軍と闘う準備の最中に地下のトンネルを掘り続ける彼らの書いた数百通もの手紙が2006年に硫黄島にて発見されました。この「硫黄島からの手紙」(2006年)は、その手紙にまつわるストーリーです。そんな戦争映画である本作のキャストやあらすじをご紹介します。
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映画「硫黄島からの手紙」とは?
硫黄島・・・きっと日本人であればこの島の名前を耳にしたことがある方も多いと思われます。小笠原諸島の南端近くに位置する小さな島であり、東京都でもあります。
これからご紹介するのが、その島が舞台になった戦争映画です。2006年12月に公開された、名監督であるクリント・イーストウッドが硫黄島の戦いとして日米両国から描いた2部作のうちの1作品がこの「硫黄島からの手紙」。
当時、日本の軍人さんで最も闘いや戦略にたけていたといわれている栗林忠道を主人公にして、日本側から見たアメリカ軍との硫黄島の戦いを描いたストーリーです。
この「硫黄島からの手紙」は、第79回アカデミー賞の作品賞・脚本賞・監督賞・音響編集賞の4部門にノミネートされた映画でもあります。
全編日本語にも関わらず、外国語映画賞ではなくてアカデミー賞の作品賞などにノミネートされるのは異例のことであり、外国語映画としては7本目となりました。
しかし、これだけではありません。本作は、ナショナル・ボード・オブ・レビュー賞最優秀作品賞など、他にも沢山の賞を受賞している作品でもあるのです。
製作総指揮には、スティーブン・スピルバーグ氏の名前があることもこの映画がどんな風に描かれいるのか気になる作品でもあるとお感じになるはずです。
この「硫黄島からの手紙」(Letters from Iwo Jima)は、2006年10月に公開された「父親たちの星条旗」(Flags of Our Fathers)につづいた第二弾としての映画です。
第二次世界大戦の戦火の中で硫黄島での戦いによってアメリカ軍側のほとんどの勲章がこの硫黄島での戦いに関わった人々に功労者として与えられたということからもお分かりになると思いますが、日本、そしてアメリカの双方の国にとって大事な拠点の奪い合いでもある闘いでもあったと思われます。
映画「硫黄島からの手紙」の監督はクリント・イーストウッド!
ご紹介したように、この硫黄島での戦いを、2部作として描くことを決めたのが、サンフランシスコ出身の映画俳優であり、映画監督、映画プロデューサー、作曲家、政治活動家などなどで有名なクリント・イーストウッド(Clint Eastwood)監督です。
「ダーティハリー」で有名になった彼は、沢山の西部劇やアクション映画に出演していおり、アカデミー賞を2回も監督として受賞し、ゴールデングローブ賞、カンヌ国際映画祭などなど数え切れないほどの賞も今までに受賞しています。
実は、この前作である第一弾の「父親たちの星条旗」(Flags of Our Fathers)ですが、驚くべきことにクリント・イーストウッド監督はかなりアメリカに対して批判的なストーリーに作り上げていて・・・
戦争や軍隊などというものは愚かなことだというかのように「アメリカ軍は決して兵士を見捨てない」という願いというか、思いはありえないものだと否定している描写になっています。
その反対に、不思議なことに日本側から見たこの硫黄島の戦いのストーリーの中では日本軍の兵士についてそう言った描写などがないストーリーになっています。
クリント・イーストウッド監督が伝えたかったことは、戦争というものにはそれぞれに思いがあり、どちらも正義として戦うもの・・・・だからこそ、本作と「父親たちの星条旗」の両方の二部作が必要だったのかもしれませんね。
映画「硫黄島からの手紙」の主要キャストをご紹介
キャストについてですが、クリント・イーストウッド監督が以前から面識があり、直接出演依頼をした渡辺謙さん以外は、全員がオーディションにて決まった配役となっています。
二宮和也 、加瀬亮 、伊原剛志 、中村獅童 、山口貴史 、尾崎英二郎らの俳優は、日本国内から起用されました。
そして、彼ら以外のセリフのあるキャストについては、アメリカ国内にてオーディションによって選ばれた日本人俳優さんたちです。
(裕木奈江さん も当時からアメリカ在住だったので、彼女もオーディションによって選ばれました)。実は、二宮さんが演じた西郷役という役は、二宮さんを起用するために演技を気に入った監督自身が新たにつくった役なのです。
そのため、当初の「硫黄島からの手紙」のストーリーを変更したそうです。
日本人が日本語で演技をしたアメリカ映画はこれまでもあるのですが、日本人が主人公であり、全編が日本語のアメリカ映画というのは、この作品が初めてだそうです。
もちろんアメリカ人との会話の時は英語を使っているシーンはあります。しかし、それ以外全編が日本語ですからクリント・イーストウッド監督が作ったと聞かなければ誰か日本人の監督が作ったと誰もが思うでしょう。それではキャストをご紹介します。
栗林忠道陸軍中将役/渡辺謙
小笠原方面の防衛担当であり父島要塞守備隊を基幹とする第109師団長だった栗林 忠道を演じるのは、俳優の渡辺謙さんです。
『硫黄島からの手紙』(2006年)だけではなく、『ラストサムライ』(2003年)、『インセプション』(2010年)、『GODZILLA ゴジラ』 (2014年)などなど数多くのハリウッド映画に出演しています。
日本アカデミー賞では、最優秀主演男優賞受賞を3回、優秀助演男優賞を3回受賞しています。
西郷昇陸軍一等兵役/二宮和也
西郷昇陸軍一等兵役を演じるのは、1983年6月17日生まれの歌手、俳優、タレントとして活躍しており、人気男性アイドルグループ・嵐のメンバーでもある二宮和也。愛称は「ニノ」。
刊スポーツ・ドラマグランプリのドラマ 助演男優賞、 橋田賞・個人賞、文化庁芸術祭賞 テレビ部門 放送個人賞などを受賞しております。
そして2016年に公開された『母と暮せば』 では、第39回日本アカデミー賞 最優秀主演男優賞を受賞しているアイドルでもあり、実力がある俳優でもあります。
西竹一陸軍中佐役/伊原剛志
福岡県出身の伊原 剛志さんですが、出生当時は尹惟久(ユン・ユグ)という名前だったそうで・・・・当時は、教師になりたかったそうですが、国籍の問題で諦め俳優の道へと変えたそうです。
現在は日本の国籍を持っているようですね。
伊原剛志さんもこの「硫黄島からの手紙」(2006年)の他にもブラジル映画「DIRTY HEARTS」(2011年)で主演をしたり、アメリカ映画である「NINJA」(2009年) にも出演しており、海外の映画にも高い演技力によって起用されています。
伊藤海軍大尉役/中村獅童
歌舞伎の名門である小川家(旧播磨屋、現・萬屋)に生まれた歌舞伎役者でもあり、俳優&声優をしている 中村獅童さんですが、お父様は、元歌舞伎役者の初代中村獅童さんです。
2003年3月にそれまで上手くいっていなかった俳優業で転機が訪れます。
オーディションに合格し映画初出演となった『ピンポン』で日本アカデミー賞、ゴールデン・アロー賞(映画新人賞)、ブルーリボン賞、日本映画批評家大賞、毎日映画コンクールのなどの新人賞5冠を受賞しました。それ以降数多くの映画やドラマに出演するようになりました。
花子役/裕木奈江(西郷の妻)
最近あまり日本のテレビなどでお見かけしないと思っていたのですが、花子を演じる裕木 奈江さんは、1999年にご結婚されてロサンゼルスへ移住しました。
『硫黄島からの手紙』に出演してから、その後デヴィッド・リンチ監督の『インランド・エンパイア』(2007年)に出演。
そして今年2017デヴィッド・リンチ脚本・監督の海外ドラマの新作である『ツイン・ピークス The Return(全18話)』に出演しています。リンチ監督から直接キャティングされたそうですから、今後も楽しみな女優さんです。
映画「硫黄島からの手紙」のあらすじを紹介【ネタばれ注意】
2006年に硫黄島で、数百通もの手紙が当時のまま発見されました。この映画のストーリーはこの手紙がキーになってくる映画になります。
ちょっと他の軍人さんとは違った戦略を持っていた陸軍中将栗林忠道が硫黄島での闘い方に一風変わった戦術を使いました。栗原自身も、そして彼の指揮の元で闘う兵士たちも本土で彼らの帰りを待つ家族がいました。
そして1945年2月19日、アメリカ軍の攻撃が始まります。西郷は、まだ見ぬ我が子に会いたいがために死ぬことは出来ないと踏ん張ります。果たして彼らの行く末は・・・・最後までお読みになるとネタバレですので、ご自身の判断でお読み下さいませ。
ストーリーネタバレ①ストーリーのはじまり
https://www.youtube.com/watch?v=0x54bOTdJA02006
年に東京都小笠原諸島の1つである硫黄島の地中を発掘調査中の考古学者らが何かを発見します。
それは、決して届くことのなかった手紙の数々でした。その数、数百通もの大量の手紙。実はその手紙は、61年前にこの島の地下から攻撃するといった戦略で戦っていた兵士達が家族に向けて書いていた手紙だったのです。
主人公である栗原がちょくちょくストーリーの中で家族に手紙を書いているシーンがあります。彼らはそれらの手紙に何を託したかったのでしょうか・・・・
L’altra faccia del conflitto:#LettersFromIwoJima
Quale dei due film di Clint Eastwood avete preferito? pic.twitter.com/gNdeRtTj9o— vcast (@vcast) 2015年4月29日
太平洋戦争の日本軍の戦況が悪化していた1944年の夏のはじめ、西郷一等兵はアメリカ軍の上陸に備えて兵士が砲撃や銃撃から身を守るために使う穴?散兵壕(日本軍ではこう呼んでいた塹壕のこと)を掘る作業に飽き飽きしていました。
そんな時、小笠原兵団大109師団の師団長である陸軍中将・栗林が、硫黄島の指揮官として着任しました。
ストーリーネタバレ②駐在経験を持つ指揮官
新しく着任した栗林は、普通の将校とは違っていました。着任してすぐに当時一般的であった水際防衛作戦をやめ、内地での持久戦による闘い方に変更します。
そして、西郷が理不尽な体罰をされていることを栗林は止めさせます。その行動に兵士たちは驚きます。
今までの指揮官とは違う栗原との出会いによって、硫黄島での辛い日々に絶望しか感じていなかった西郷陸軍一等兵(二宮和也)らに、希望の光を抱かせるようになります。
1927年~1931年にかけて、アメリカやカナダの駐在武官(在米大使館附)などを栗原はしており、国際事情なども理解していた栗原でした。
塹壕掘りばかりを続けている兵士にも休むことは必要だと言って休憩もとらせました。硫黄島の視察を終えた栗林は、司令部に戻って軍備や戦略の不備などを考え直し、当たらな戦略を立て直しました。
栗林は兵士たち対して、いつも言っていました。「最後まで戦い抜け」と・・・そんな優しく温厚な栗原に対して兵士たちは皆好感を持つようになります。
水際防衛術や飛行場の確保などに固執している海軍の軍人らの反対意見などを抑えつつ、島の中の各地に洞窟を掘り島中にトンネルを張り巡らせて、地下に要塞を作って迎撃することが栗原の作戦でした。
硫黄の独特な臭いが立ち込め、暑さに見舞われている硫黄島・・・・食料も水も不足しているような過酷な状況下の中で、掘り進められていく地下のトンネルこそがアメリカ軍を迎え撃つ秘策であったのです。
ストーリーネタバレ③アメリカ軍が硫黄島へ上陸
とうとう1945年2月16日、アメリカ軍の大艦隊が海洋上に現れます。いきなり艦砲射撃が始まり3日後の19日、ついにアメリカ軍が硫黄島に上陸してきてしまいます。
そこからの硫黄島での戦いですが、約36日間にも及んだ長い戦いになってしまいます。栗林の言っていた通り、水際防衛作戦は簡単に破られてしまいます。
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— Megumi (@megumi_s8) 2014年8月15日
山で待機していた部隊にアメリカ兵の手が伸びようとした時、栗林の命令書を持った西郷が山に戻り谷田大佐に栗原の命令書を渡します。
しかし、もうおしまいだと感じた谷田大尉は「玉砕(集団自決)」を決意します。
そして、栗原の命令書を無視し谷田大尉の独断で西郷に「自決命令書」を言い渡すのです。西郷は清水上等兵に栗林の命令書のことを伝え、2人は戦線離脱することにしました。伊藤大尉の部隊に到着した2人は、脱走兵として処刑されそうになります。
それを、栗林が止め「戦い抜け」とみんなに言います。栗林に反発していた伊藤大尉は、独断で林少将とともに奪還を決め、それにより1000人以上の犠牲者が出てしまいました。
敗戦だな・・・と感じた栗原は家族へと絵手紙を書きました。西郷のもとにやってきた栗原。栗林に2度助けられましたと伝えた西郷に対して「2度あることは3度ある」と笑った栗林が言います。「もし自分が死んだら埋めてくれ」と・・・・
ストーリーネタバレ④硫黄島からの手紙
最終決戦となった日。栗林は、西郷に資料などを燃やすよう命じました。西郷は栗原の命令を完遂するのですが、手紙などは土に埋めました。資料を燃やすという栗原の命令で、司令部に西郷を残し時間稼ぎをした栗林。
結果的に西郷の命を3度助けることになります。戦いの最前線での兵士らは次々と倒れていっていました。瀕死の状態になっていた栗林も自決し、西郷は栗林の言葉どおりに遺体を埋葬します。
その後西郷はアメリカ兵に捕まってしまいます。その時、アメリカ兵のひとりの兵士が栗林の拳銃を持っているのを見た西郷は逆上してシャベルを持って暴れます。
その場で気絶した西郷は、アメリカ兵で負傷している兵士らと共に手当を受けるために担架で運ばれます。
意識が戻った西郷の目に見えたのは、硫黄島の沖の海に沈んでいく夕陽だったのです。
2006年になり、発掘調査隊が土の中から見つけたのは、西郷が栗林に命じられて資料を燃やした後で埋めた硫黄島の戦いで散った兵士たちが家族に宛てた数え切れないほどの手紙だったのです・・・・・
映画「硫黄島からの手紙」見どころのポイントは?
ストーリーの始まりと終わりに手紙が登場したワケとは?
この「硫黄島からの手紙」のストーリーの最初と最後に出てくる手紙。彼らが手紙に託した想いとは・・・生きて家族の元に帰ろうとした理由でもあったかもしれないこの手紙の存在。
もちろん戦地では楽しみもなく、手紙を綴ることが1つの楽しみだったのかもしれません。その手紙が最初と最後に出てきた本当の理由があります。
この映画「硫黄島からの手紙」の原作である「玉砕総指揮官の絵手紙」という栗林忠道の手紙を元に作られた書籍が注目されて作られることになったからだそうなのです。
「玉砕総指揮官の絵手紙」は、昭和3年の当時、軍事研究のためにアメリカに留学していた陸軍大尉栗林忠道が、幼い愛する息子である太郎に書き綴った絵が入った手紙と、その15年後に彼が指揮官として着任した硫黄島で書いた手紙の両方を公開したものです。
その手紙に綴られた栗林の我が子に対する父親としての深い愛情とが感じられる文面から、軍人でもある栗林の人生の分かれ道や決して小説のようではない本当の戦争の歴史が分かります。
だからこそ始まりと終わりに手紙の存在が出てきたのかもしれませんね。
アメリカ兵が西郷一等兵(二宮和也)を攻撃しなかったワケとは?
西郷一等兵(二宮和也)がラストで生きるという執念というか、家族に会いたい!まだ見ぬ我が子を一目見たいという想いを見せたシーンはとても衝撃的です。
戦争を知らない世代の私たちでさえ映画なのに胸が切なくなる想いになりました。あのシーン・・・・なぜか暴れたのにも関わらず西郷一等兵を取り囲んだアメリカ兵たちは彼を殺しませんでした。
どうやらクリント・イーストウッド監督の考えで、西郷一等兵を捕虜という存在にしたかったからだと言われています。演出で生かすイコール捕虜だという考えはさすがですね。
死ぬために闘った男達の手紙が見つかったことは奇跡!
この映画「Letters from Iwo Jima」(硫黄島からの手紙)というタイトルですが、当初は「Red Sun Black Sand」(赤い太陽、黒い砂)というタイトルになるはずでした。
でも、原作でもそうだったように硫黄島に残されていた沢山の手紙の存在がとても大切なものだという考えから、タイトルが変更されたそうです。
命の大切さや戦争がどんなものなのかを知るだけではなく・・・・日本軍の考えられないような厳しさ、そして脱走の様子などを描くだけではなく、脱走兵らを撃ち殺してしまうアメリカ兵士。
その上、アメリカ軍の火炎放射器の威力やその残酷さなど・・・・日本とアメリカのどちらかが正しいとも言わないスト-りー展開が凄いと思います。
こんなシーンを見ると、今北朝鮮などがミサイルを保持して打つ、打たないなどと馬鹿げたことがニュースになっていますが・・・・・
戦争を体験した方の薄れゆく記憶や私たちが見聞きしている情報としての戦争という悲惨な出来事は、もう二度と繰り返してはいけないものなんだなと改めて想うためにも一度ご覧になって見られるといいかもしれません。
しかし、このストーリーの中であの時に西郷が埋めた手紙が61年という歳月を経て見つかったということは本当に奇跡なのかもしれませんね。