【ぼくらの】アニメ版の見どころ&ネタバレ紹介!原作と異なる最終回は必見!

漫画家・鬼頭莫宏原作で制作されたアニメ「ぼくらの」は、ネガティブ要素が満載。そこでどうしてネガティブで鬱作品とまで呼ばれているのか、原作と異なる最終回をネタバレしつつご紹介します。

圧倒的鬱アニメ『ぼくらの』とは?

出典:https://www.amazon.co.jp

漫画家・鬼頭莫宏が小学館「月刊IKKI」で連載されていた漫画「ぼくらの」は、全11巻で出版されました。2007年にはTOKYO-MXでアニメ「ぼくらの」が全24話で放送されます。アニメが放送開始してから第1話から第13話の阿野万記(マキ)編まで原作漫画を忠実に再現し、以後の第13話から第24話の最終話までのストーリーは、アニメオリジナルとなっていました。
登場する主人公は15人の少年少女たち。少年少女のの日常の悩みや思いを描き、最後はバッドエンドになるという結末から、「ぼくらの」は圧倒的に鬱作品とも呼ばれています。


また、「ぼくらの」の見所としては、巨大ロボット「ジアース」の存在を序盤から世間に明らかにしていることです。ジアースを明らかにしたことで、少年少女たちの置かれている立場を政府が認識し、大人たちも加わり、子供と大人が一丸になったストーリーが展開しているのも面白いですよね。

OP&EDは名曲

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実はアニメ「ぼくらの」のOP&EDもストーリーに沿った曲を採用しています。OP「アンインストール」が第01話から第24話を通して使用されていました。
作詞・作曲を手掛けている石川智晶さんが書き下ろしたアニメ「ぼくらの」のテーマソングは、歌詞の内容がジアースに翻弄されている少年少女たちの気持ちを表現しています。ED「Little Bird」は、第01話から12話までで、映像に少年少女たちがワンシーンずつ登場してきました。
亡くなった子たちも登場すると切なさが蘇ってきます。第13話から第24話までが「Vermillion」。アニメ「ぼくらの」の象徴的なアイテム・椅子がフレーズに入っています。3曲とも石川智晶さんが担当していました。3曲ともアニメ「ぼくらの」の世界を存分に振り返れる名曲になっていると思いますよね。

巨大ロボット・ジアース


子供たちが生死をかけて乗り込んでいる巨大ロボット・ジアース。昆虫に似た黒いボディは全長500mもある巨大ロボットです。「ジアース」と言う名前は、前からロボット好きだった養父から影響を受けたマキ(阿野万記)が名付けた名前でした。
椅子に座る(子供たちは自分たちが普段愛用している椅子を使用)ことでパイロットの思念を受け取り、攻撃や防御をすることができます。パイロット以外の人間もコエムシが転送してくれば乗船可能で、パイロット候補予備軍の子供たちは、円陣に配置された椅子に座って戦いを参加することが可能(ただし、パイロット以外は直接の戦いに参加できません)。


アニメでは、パイロット候補の体の一部に模様が出来ることで、誰が次のパイロットになるのか人目で分かるようになっています。ジアースの顔に当たる部分にスリットと呼ばれる部分があり、そこには子供たちの命の数だけ光が灯されています。
敵にも同じスリットがあり、どれだけ戦ってきたのかの目安になっていました。戦いの勝敗は、花のつぼみに似た球体を潰すことが唯一の勝利方法です。
ジアースも同じ球体を所持していることから、敵もジアースの球体を狙ってきていました。勝敗に関係なく戦ったパイロットは亡くなってしまうという恐ろしいシステムになっています。

謎多き生物・コエムシ


他の作品ならばゆるキャラやマスコット的なキャラクターとして描かれることが多いフォルムを持つ「コエムシ」。ゲーム開発をしていると噓の話をでっち上げ、戦いの契約を結ばせたココペリと一緒に行動していたコエムシは、ゆるキャラフォルムとは違って、性格は冷酷でした。
右も左も分からない子供たちに、ルールを教えるのもコエムシの役目ですが、そのルールが残忍すぎるため、コエムシの発言が時々鬼のように感じることも多いですよね。コエムシは元々は人間で、別の地球で同じように戦いが繰り広げられた後に、2人は残るのがルールでした。
1人はココペリのような新たな契約者たちに戦闘を教え、戦闘後に亡くなる役目の人間。もう1人は「コエムシ」となり、新たな契約者と共に戦いを見届ける人間です。このコエムシのバックボーンもアニメ「ぼくらの」の軸となり、真相が明らかにされていくのも楽しみの一つでありますよね。

『ぼくらの』魅力1:あらすじがネガティブ・・・

始まりは軽い気持ちから


夏休みに、自然学校に参加した15人の少年少女がある洞窟を探窟したことからストーリーは始まっていきます。そこで1人の男性・ココペリと遭遇すると、ゲームをしないか?と誘われました。ゲームと聞いて軽い気持ちで参加する子供たち。
ところが、登場した巨大なロボットはリアルに存在したことから、ゲームじゃなかったんだとみんなパニックになっていきます。突然登場した敵はココペリが倒し、メガネをコクピットに残し消えてしまいました。


ココペリが居なくなった後に登場したのは、謎の生物・コエムシでした。ジアースのコクピット内には、子供たちの日頃愛用している椅子を配置しています。自分たちの愛用の椅子が現れたことで少しほっとする子供たちの中で、最初に選ばれたのは明るいワク(和久隆)でした。無事に初戦を終えると、ウシロ(宇白順)が軽くこづいただけで、ワクはジアースから落下して死亡してしまいます。

次々と犠牲になる子供たち


ワクが死亡した原因は、ジアースを動かす動力として人間の命が使われているから……。それが分かった子供たちは、選ばれることに脅威を感じていきます。供たちの共通点は人間関係に何か傷を背負っていること
序盤の戦いでは、戦って死ぬことが怖くなったカコ(加古功)は、密かに好きだったチズ(本田千鶴)に襲いかかった時に敵が現れ襲撃に巻き込まれて死亡するということがありました。中盤以降になると、人間関係に傷があるのは大前提ですが、どうして地球のために戦うのか、ジアースというのは一体何なのか?という部分が絡んできます。


キリエ(切江洋介)の戦いでは、ココペリのいる洞窟に誘った一番最初の人間がマチ(町洋子)だということ、さらにはジアースとの契約をしていない人物なのではないか?と言うことも明らかにしていました。戦いをしていく中で、大きな謎が少しずつ明らかにされると、ストーリーにぐっと引き込まれていってしまいますよね。

人間関係が切なすぎる…


鬱アニメと言われる理由としては、登場する子供たちの人間関係が解決された後にバッドエンドを向かえてしまうと言うことではないでしょうか。ナカマ(半井摩子)の場合は、ナカマを生む前に母親が売春婦であったことから、小さい頃からひどいいじめに遭っていました。
母親のことをつらいと思っていた思春期のナカマでしたが、母親を知る人たちから、母親がどれほどナカマを大切に思っているのか知ることが出来たことを知ってパイロットとなります。ナカマの死を知った母親の絶望的な悲しみを思うと……。


ダイチ(矢村大一)の場合では両親が居なく、親戚の家業を手伝いながら小さい兄弟たちを養っています。選ばれた時には強制的に呼ぶのではなく、自分のタイミングでコクピットに向かいたいとコエムシに懇願しました。
それまで自分の力で家族を養っていきたいと思っていたダイチは、親戚にお世話になることを告げ着々と準備を始めていきます。とうとう敵が現れた時には、一番上の妹に小さい兄弟を任せ戦いに挑んでいきました。
兄弟たちが悲しむから、遺体をどこかに隠して欲しいと言って亡くなっていきます。この他のケースでも切ない人間関係が登場していたのですが、いずれもバッドエンドとなっているのが、鬱アニメといわれる理由なのだと感じますよね。

『ぼくらの』魅力2:アニメと漫画では最終回が違う?【ネタバレ】

アニメ「ぼくらの」


ウシロとカナ(宇白可奈)以外の全ての契約した子供たちが亡くなりました。最後に戦う役目をウシロは背負いますが、敵も同じく別の地球から来たロボットで、ウシロたちと同じ条件の契約をしている人間が操作しています。
亡くなっていった仲間たちの戦いを思い出しながら、30時間にわたる死闘の結果ウシロは勝ちました。その後ウシロは亡くなり、カナは亡くなったダイチの弟と出会い、ダイチのことを大きな傷としていることを知ります
ジアースには乗らなかったカナでしたが、一緒に戦った仲間としてダイチや仲間たちがどれだけ立派だったのかを語り継ぐ役目をするのでした。その後、ジアースの存在は無くなったのか?という疑問は残りましたが、カナが平和に過ごしていることでハッピーエンドとして描かれています。

漫画「ぼくらの」


原作漫画「ぼくらの」の場合は、生死がまったく異なるキャラクターが多く登場します。ウシロの母親で航空国防軍一尉である田中美純は、ヤクザの妻ではなく、不良娘だったことでした。その後カナの戦いで殉死をしています。
カナもココペリの戦闘直後から、パイロットとして契約を結び、田中美純が亡くなった戦いでパイロットとして乗船し死んでいます。また海上国防軍一尉・関正光は、アニメでは最後まで登場していましたが、原作漫画ではカンジ(吉川寛治)の戦いで敵のオトリになって殉職していました。


その他にもココペリがらみの話が最終回まで伏せんとして描かれていたり、最終回までコエムシが登場したりと大きく設定も違っています。ウシロとマチ(町洋子)が亡くなった子供たちの家族のところへいき、家族たちのその後を読者に知らせていました。アニメでは伝え切れなかった部分を補足して、さらに涙を誘っていたのが印象的ですよね。

『ぼくらの』魅力3:アニメは炎上?理由を考察してみた


アニメ「ぼくらの」は、賛否両論が溢れたアニメとなりました。原作漫画を見たファンにとっては、アニメ「ぼくらの」は、消化不良になったエピソードが多かったというのが印象的でした。原作漫画は2004年から2009年、アニメ制作は2007年の04月から09月というまだ連載が終了していませんでした。
そのため、原作漫画がストーリーの伏せんを回収する前に、アニメは放送終了させなくてはいけなかったという大人の事情もあるのかもしれませんよね。キャラクターごとの設定が違っていたり、亡くなり方が違ったということも賛否両論の理由だったのかもしれません。
アニメだけ見た視聴者が、原作漫画に興味を持って「ぼくらの」の世界観にさらにハマッて行く……というパターンもあるので、原作漫画があるアニメの楽しみ方は色々あるのでは?と感じました。賛否両論が爆発したと言うのは、それだけ「ぼくらの」という作品が魅力だったのだと思いますよね。

『ぼくらの』はネガティブ漫画の傑作だった


圧倒的鬱作品と言われている「ぼくらの」は、「死と向き合う」ことをテーマにした作品でした。巨大ロボット・ジアースと闘う途中で明らかにされて行く、キャラクターたちのバックボーンが丁寧に描写されていて、見る側がキャラクターたちにどんどん引き込まれていくのがわかります。
引き込まれた段階で、必ず「死」が訪れてしまうというバッドエンドさが鬱作品と呼ばれる原因ともいえました。しかし、よく練られた設定と、敵のロボットたちとの個性的な闘いが見ごたえのある作品となっているので、ネガティブながらも傑作作品といってもいいのではないでしょうか。