【機動戦士ガンダム閃光のハサウェイ】劇場版と原作小説を徹底比較!

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ファン待望のガンダム劇場版最新作、【機動戦士ガンダム 閃光のハサウェイ】が3度の延期を経てとうとう公開されました! 『映像不可能』とまで言われていた原作小説がどのような作品となったのか、今回は劇場版と原作小説とで徹底比較いたします!

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【機動戦士ガンダム 閃光のハサウェイ】とは?

ファーストガンダムより続く宇宙世紀の物語

ガンダムという物語の元祖は、『機動戦士ガンダム』通称『ファーストガンダム』と呼ばれる作品です。「地球連邦政府」と宇宙移民側の国家である「ジオン公国」との闘いが描かれた作品であり、増えすぎた人類が宇宙のスペースコロニーに移民を始めた時代、『宇宙世紀』が舞台となっています。

『機動戦士ガンダム 閃光のハサウェイ』はこの宇宙世紀0105年が舞台となっており、原作は『富野由悠季(とみのよしゆき)』さんによる1989年から1990年にかけて刊行された小説です。富野由悠季さんは、ファーストガンダムを始め、多くのガンダム作品の原作・総監督を務められており、「閃光のハサウェイ」はそれらの作品の内の1つとなっています。

映像不可能とまで言われた原作小説

「閃光のハサウェイ」は『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア』の時代であるU.C.0093を起点として、宇宙世紀の新たな100年を描こうというプロジェクト『UC NexT 0100』の第2弾として企画されたものです。

原作小説は30年以上も前に刊行されており、さらに映像不可能とまでも言われてきた「閃光のハサウェイ」ですが、最新のアニメ技術による複雑なモビルスーツの作画、さらには作品世界に時代が追いついたということもあり、今回の劇場版3部作という企画が立ち上げられたのだと考えられます。

コロナウイルスの影響もあり、3度もの公開延期を経てようやくお目見えした「閃光のハサウェイ」!今回の劇場版第1部が原作小説の上巻部分にピッタリと当てはまることから、今後の第2部、第3部も中巻、下巻に沿って作成されていくと予想されます。30年の時を全く感じさせないストーリーの壮大さに、今後の作品についても期待が高まるばかりですね!

「閃光のハサウェイ」前日譚【逆襲のシャア】の存在

小説版【逆襲のシャア】

ガンダム作品の魅力の1つに、TVアニメや劇場版以外にも様々な媒体で作品が展開されており、その1部は本編とは少々設定の違う世界、いわゆる「パラレルワールド」が存在しているという点があります。

そのため、映像化されたガンダム作品と小説とでは、設定やストーリ構成などにおいて、少々違う部分が生まれてしまうことがでてくるのです。今回の「閃光のハサウェイ」においても、元となるお話「 逆襲のシャア」が小説版と劇場版とでは一部設定に違う部分があるため、劇場版がどの程度原作小説に寄って描かれるのかがファンの気になる部分でもありました。

そもそも「逆襲のシャア」には小説版が2種類存在しています。1つはアニメ雑誌「アニメージュ」にて連載されていた『機動戦士ガンダム ハイ・ストリーマー』に加筆、1987年から1988年に刊行された『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア』。もう1つは1988年に刊行されている、劇場版シナリオを基に改稿された『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア ベルトーチカ・チルドレン』です。

どちらも「逆襲のシャア」ではありますが、全体的な物語の流れとしては、シナリオを基に改稿されている「ベルトーチカ・チルドレン」の方が劇場版により近い内容と言えるでしょう。しかしながら、それでもなお劇場版と小説版の間には違いが存在しています。

【逆襲のシャア】劇場版と小説との違いとは?

「逆襲のシャア」では、「ファーストガンダム」でのライバル同士である『アムロ・レイ』『シャア・アズナブル』との戦いが描かれています。シャアは地球を守るため、「粛正」と称して地球へ小惑星アクシスを落とそうとしますが、アムロはシャアもろともガンダムで直接これを阻止。その結果多くの戦士達も命を落とすことになります。

そしてこの戦いの中、『ハサウェイ・ノア』『クェス・パラヤ』という感性の非常に鋭い少女に出会います。ハサウェイと同じスペースシャトルに乗ったことで親しくなったクェスでしたが、シャアと出会ったことでシャアの元へと走っていってしまいます。

シャアはクェスにニュータイプの素質があることをいち早く見抜き、クェスを自軍の新型モビルスーツのパイロットに適用。ハサウェイは淡い恋心を抱いていたクエスと戦場で再会することとなってしまうのでした。

劇場版では、戦場で再会したクェスをハサウェイが説得している最中、アムロの恋人である『チェーン・アギ』がクェスを撃墜してしまい、そのチェーンをハサウェイが撃つという内容になっています。しかし小説版ではチェーンは登場しておらず、クェスはハサウェイの誤射によって死亡してしまうという描写となっています。

愛する人を自らの手で殺してしまったという事実が、その後のハサウェイの人生を大きく変えることとなってしまうのです。けれども今回の劇場版「閃光のハサウェイ」では、あくまでも劇場版「逆襲のシャア」の続編ということですので、ハサウェイ自身がクェスを殺めたことにはなっていないはずです。とはいえ、小説版劇場版どちらにおいても、若いハサウェイが心に大きな傷を負ったことは確かなことなのです。

このように、小説版と劇場版では物語に少々の違いが出てくることがあります。今回の「閃光のハサウェイ」についても多分に漏れず、原作小説とは違ってしまう部分がどうしても出てきてしまうでしょう。今回は第1弾劇場版と原作小説の上巻との間に、どの程度の違いが見られたのかを徹底的に解析して参ります!

原作へのリスペクト!目立った変更は見られず

今回劇場版を鑑賞して大きく感じたのは、原作小説へのリスペクトでした。大きな改変は見られず、どちらかというとより世界観を分かりやすく、際立たせるために変更した部分がある、という印象を受けました。

全304ページの小説を、95分の映像作品で表現するのですから、どうしても描ききれない、削らなければいけないシーンも出てきてしまいます。しかし今回の劇場版「閃光のハサウェイ」では、シーンの重要な部分はしっかりと描きつつ、物語の進行は非常にスムーズに運ばれています。

作品初見の方にもしっかりと伝わりつつ、なおかつ既に小説を読まれている人にとっても満足を感じさせるものとなっているのではないでしょうか。当たり前ではありますが、制作側のガンダムという作品や世界観へのこだわり、強い愛が伝わってきます。

劇場版でのハサウェイには余裕がある?

これは個人的な心象かもしれませんが、小説のハサウェイに比べ、劇場版のハサウェイの方が余裕があり落ち着いているように思われます。というのも、小説ではハサウェイを始めとする登場人物の感情が、会話以外の地の文でかなり多く表現されているからだと感じます。

ハサウェイは物語冒頭で、『反地球連邦政府運動マフティー(ハンチキュウレンポウセイフウンドウマフティー)』の活動の一環として地球に降りようとしていました。しかしそこでマフティーの名を語るハイジャッカーに、搭乗する「356便ハウンゼン」が襲撃を受けてしまいます。

最初は犯人をいたずらに刺激しないように努めていたハサウェイでしたが、乗り合わせていた乗客の1人である不思議な雰囲気を持つ少女、『ギギ・アンダルシア』の声に反応します。「やっちゃいなよ!そんな偽物なんか!」というギギの言葉に、ハサウェイは驚くべき身のこなしでハイジャッカー達を制圧するのでした。

このように、思いがけないイレギュラーの事態が発生したおかげで、ハサウェイを始めとするマフティー側の計画はすっかり狂ってしまいました。着陸場所もダバオに変更となってしまううえ、事情聴取があるため翌日まではダバオから動くこともできません。

実際かなり厳しい状態であるにも関わらず、劇場版でのハサウェイからはあまり緊迫した雰囲気が伝わってきません。ハイジャッカー達の制圧もスマートにやってのけていますし、敵対関係となる『ケネス・スレッグ』大佐とも感情のブレを感じさせることのないやり取りを交わしています。

小説の地の文では、ハサウェイが要所要所で焦りを感じていること、何かに苛立つ様子などが詳しく書かれていますが、劇場版では最低限に抑えられていることからハサウェイの焦燥をそこまで感じることはありませんでした。

逆に言えば、本来は心配でたまらない状況にも関わらず、画面のハサウェイに余裕が見えるということは、それだけハサウェイが用心深く緊張して過ごしていたということなのでしょう。そうした意味でも、劇場版から感じ取れるハサウェイの余裕には、小説とは違った形でのリアリティを感じさせられました。

ギギのモテ度が半減!?

本作のヒロイン、ギギ・アンダルシアは自ずと目が引き寄せられてしまうほどの美貌を持つ不思議な雰囲気の少女です。小説では彼女の容姿について、「すっぽりと肩を隠すような長い透明なブロンドの髪をもって、まつげも透明に輝いていた」「彼女の肌は、東洋系のきめこまかさとラテン系の色をもっていて、透明なブロンドの印象を引きしめていた」などのように描写されています。

一見上流階級御用達のハウンゼンには似つかわしくないと思えるギギですが、ハウンゼンの紳士達はみな彼女に夢中であり、ギギの席には入れ替わり立ち替わり男性客がお愛想をいいにやってきています。その紳士達の多くは、自分の妻や家族を連れているにも関わらず、それでもなおギギと接触を試みていることから、ギギのモテぶりが半端なものではないことが分かりますね。

しかし劇場版において、ハウンゼン内の描写は小説と比べるとかなり省略されており、ギギが乗客の紳士達の多くに関心を持たれているという印象は受けません。時間の都合上か、ハウンゼン内のラウンジでのシーンもありませんし、男達がギギの一挙手一投足に注目して後を追いかけるような場面は割愛されています。

とはいえ、ギギのハッと目を引くほどの美貌は、映像で充分に感じられるものであり、ギギが誰に対しても深く印象付ける少女であることは一目瞭然でしょう。ギギのモテ度を示す描写は減っていますが、それを充分に補足するほどのキャラクターデザインに感嘆してしまいます!

ケネス大佐の乗馬シーンが!

地球連邦軍将校ケネス・スレッグ大佐は、マフティー殲滅部隊の司令官着任のためにハウンゼンに乗り合わせていました。軍人として高い能力を持っており、軍人であるときと普段の雰囲気との間にはずいぶんと開きのある人物です。

そんなケネス大佐は、指揮棒代わりに乗馬鞭を愛用しており、部下に指示を出す際や捕虜に対峙するときなど、その鞭をピシリと鳴らすことがよくあります。この乗馬用の鞭の存在が劇場版ではさらに際立っており、小説には登場しないケネスの乗馬シーンを劇場版にて拝むことができます。よりいっそうキャラクターへの愛着が湧くというものですね!

非常に高いセリフの再現率

これもまた個人的な心象ではありますが、ガンダム作品、特に富野由悠季さんが描かれる物語のセリフの多くが独特な雰囲気をはらんでいるように感じられます。会話文でありながら、どこか劇画チックな雰囲気を感じさせており、難しい言い回しかと思えば非常に感情的直接的な表現であったりするのです。

正直なところ、こうしたセリフは小説という媒体上で目で見て感じ取るのには心地よいのですが、セリフとして音声にしてしまうと少々現実味が薄くなってしまうように感じていました。そのため、劇場版においては会話文を現代の雰囲気に合わせ、かなり砕けた言い回しにしてくるのではないか、とも予想していたのです。

しかし今回の劇場版では、小説のセリフをかなり高い割合で再現してありました。にも関わらず、時代を感じさせることなく、作品の雰囲気に全く違和感なくセリフが溶け込んでいます。豪華声優陣の実力もさることながら、関係者の作品への熱意を非常に強く感じた一面でした。

中には場面に合わせ、小説と劇場版とではセリフを発する人物を変更している部分もあります。最も印象的なのは、ハサウェイが『Ξガンダム(クスィーガンダム)』に搭乗した際、アムロ・レイの声で語られる「身構えている時には、死神は来ないものだ。」というセリフです。原作小説では地の文で書かれていたこのセリフを、アムロのイメージが語ることで、こちらのシーンがより一層印象深い物となっているのです。

また他にも、特に個人的にグッと感じたのは、地球連邦政府側の新型ガンダム『ペーネロペー』のテストパイロット『レーン・エイム』愛機の名を呼ぶときの発音です。レーン役を演じる声優『斉藤壮馬(さいとうそうま)』さんは、アフレコにてレーンだけペーネロペーの呼び方を変えてほしいという要望をいただいたのだそうです。ペーネロペーに愛着を感じるがゆえに、レーンだけの呼び方が生まれるという、小説だけでは感じとることのできない強い演出に、心が震えました!

細かな場面設定に違いが!?

劇場版と原作小説の間に大きな変化は見られませんが、お話の本筋とはちょっと離れた部分で細かな場面設定に違いが見られる箇所があります。こちらは時代が進んだことにより、小説が書かれた時よりもよりリアルな舞台設定の考察が可能となった結果ではないでしょうか。

例えばハウンゼンでのドリンクサービスにおいて、小説ではストローを使って飲み物が提供されていますが、劇場版では液体の表面張力を利用した、無重力状態に対応した特別なグラスが使用されています。美しいフォルムを保ちながら、飲み物が飛び出すことのないようにグラスの縁に吸い口があつらえられており、実際に近い未来で使われそうな予感ですね。

ガンダムカフェでゃ、6月30日まで劇中で登場した食事の再現メニューが提供されています。お時間のある方は、コロナ感染対策に充分ご注意いただいた上で、ぜひこれらのメニューを楽しんでいただきたいものですね!

他にも、ハサウェイが敵側に怪しまれないようにと、ダバオを散策(実際はマフティーメンバーとの接触が目的)した際に購入した土産物について、劇場版では小説以上に手が加えられています。

ハサウェイの買ったお土産は、その後の陽動作戦による空襲の影響でボロボロになってしまい、ハサウェイはそれを置いて出発するのですが、劇場版ではその後ギギが土産の時計に電池をはめて動かす印象的なシーンがありました。

劇中であまりギギの心情が語られることはありませんが、ハサウェイの残した時計をギギの手で動かすという演出により、ギギの内面が溢れているように感じられます。劇場版の終盤部分でこのシーンが流れることにより、ハサウェイとギギのこの先の繋がりがより一層気になってしまいます。サンライズさんには頑張っていただき、1日も早く第2弾の劇場版「閃光のハサウェイ」を目にしたいものです!

ハサウェイ視点に特化したストーリー構成

小説においては、ハサウェイ以外の人物、例えばケネスやギギの気持ちなども地の文でかなり語られているのですが、劇場版では心情を表現する場面のほとんどが、ハサウェイ視点で描かれています。その心の声についても、小説に比べて量がかなり少ないのですが、登場人物の表情や行動を視覚的に捕らえられることで自然と感じ取れる部分がありますので、こうした点は映像コンテンツの利点ですね。

小説においてはケネス視点で進む場面も多いため、劇場版と合わせて原作小説を読むことで、よりケネスという人物への理解度が上がるように思われます。また、劇場版のギギはただただつかみ所の無い不思議な雰囲気の少女に感じられますが、小説ではハウンゼン内で自分を取り巻く閣僚達の婦人に対し、軽視のこもった感情が吐露される生身の少女らしい表現も存在します。

ハサウェイ視点に特化され、情報が分かりやすい劇場版と、より多くの登場人物の内面について深く知ることのできる原作小説。どちらの表現方法も甲乙つけがたいため、ぜひ双方とも楽しんでいただきたいものです。

【機動戦士ガンダム 閃光のハサウェイ】劇場版と小説どちらも見逃すな!

『機動戦士ガンダム 閃光のハサウェイ』、劇場版と原作小説との違いを紹介して参りましたがいかがだったでしょうか?とにかく言えることは、どちらの媒体であっても素晴らしい物語だということです!

6月11日の映画公開から2週目で、興行収入は10億円を突破!さらに劇場観覧者限定で販売されるBlue-rayの販売数は、上映から5日間で5万枚を超えるという快挙となっています。

最新のアニメ映像と素晴らしいサウンドで繰り広げられる劇場版を、ぜひ皆さんに映画館で体感していただきたいです!予習として小説でじっくり作品世界に触れていただいてからもよし、映画鑑賞後に余韻にひたりながら小説を楽しむのもよし。いずれにしても言えることは、劇場版と原作小説、どちらも見逃すわけにはいかないということですね!

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